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東京高等裁判所 昭和48年(行コ)65号 判決 1977年1月27日

控訴人 山中新蔵

被控訴人 川崎南労働基準監督署長

訴訟代理人 房村精一 市川登美雄 ほか三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対してなした昭和四五年七月二二日付第四七号の労災保険給付不支給決定を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上・法律上の主張および証拠の提出・援用・認否は、次のとおり附加・補正するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

(控訴人の主張)

一  控訴人は本件事故当日午前六時四五分までに職業安定所に出頭し、窓口で川崎運送株式会社川崎営業所(以下、川崎運送と略称する。)の市営埠頭における鋼材はしけ積作業を紹介され、自己の日雇港湾労働者手帳(以下、青手帳と略称する。)を提出した。川崎運送との間の雇用関係はこの時点で成立している。

川崎運送の連絡員は、青手帳を一括して安定所の係員から受け取り、これに基づいて人員を確認したうえで出迎バスを発車させるが、控訴人はオートバイで行くについて連絡員の了解を得、その指示のもとにバスと同一の順路をたどつて市営埠頭に向かつたのであるから、使用者たる川崎運送の支配下にあつたことは明らかである。右の指示が明示のものとして与えられていなくても、企業運営上必要な行為として容認されていた以上、結論に影響はない。

二  当日の作業条件たる実働作業時間は午前八時から午後五時までであつたが、その前後各三〇分間は作業準備および後始末に要する時間として残業手当の名目による賃金支給の対象時間とされていた。これは、右時間内は現実に労働者が使用者の支配拘束下におかれていたためにほかならず、本件事故は右賃金支給の対象となる拘束時間内に生じたものである。

三  川崎運送は港湾荷役一般およびこれと直結する陸上運送を業務とし、埠頭内のどこの岸壁からでも陸揚げ、運搬を行なつていたものであるから、港湾労働法にいう川崎港の港域内たる市営埠頭内全域が同会社の事業場に該るものというべく、事業の性質上、市営埠頭内の特定地域のみを限定して事業場と見ることはできない。港湾荷役業者間で常態化している労働者の相互融通の慣行を考慮に入れれば、そのことは一層明白である。したがつて、本件事故は使用者の事業場内で発生した事故であり、仮にしからずとしても、右事故現場は岸壁と野積場に囲まれた位置にあり、作業現場間の移動経路となるため事業場と密接不可分な関係にあるので、事業場に準ずる場所で生じたものというべきである。そして、現に本件事故は、川崎通運が前日まで取り扱つていた鉱砕塊が路上に散乱していたために生じたものであり、事業場の危険な環境によつて惹き起こされた労働災害であることは明白である。

四  以上の諸点に徴すれば、本件事故が使用者の支配下において生じた業務上の災害であることは明らかであるが、仮にこれが通勤途上の災害と認められるとしても、控訴人は事故前日に川崎運送から(少くとも黙示的に)指示されて日曜日に出勤し、安定所において同会社との間の雇用関係を成立させたうえ、連絡員の了解を得てその指示により作業現場に向かう途中、前述のような時間、場所において事故に遭遇したものであるから、一般の通勤途上よりも拘束性の強い特段の事由が存する場合として、業務上の災害に該るものと認定されるべきである。

(被控訴人の主張)

一  控訴人がオートバイで市営埠頭に向かつたのは自己の都合によることであり、川崎運送の指示に基づくものではない。したがつて、連絡員の了解の有無にかかわらず、使用者たる阿会社の支配からは離脱していたものというべきである。

二  本件事故の発生現場は、市営埠頭内とはいえ、工場に取り囲まれた公道上(いずれも市道である中央線道路と埠頭一号線道路の交叉点附近)であり、安定所で紹介される港湾荷役作業の行なわれる場所ではない。川崎運送の港湾荷役作業の行なわれる事業場は、埠頭の西側岸壁と野積場の附近およびその間に限られ、本件事故現場は含まれない。

三  控訴人が事故当日の出勤を川崎運送から指示された事実はない。また、日々雇用される労働者については、常用の労働者と違つて、本来労務の提供を要しない日に特に出勤を命ぜられるという関係は存しないから、安定所で紹介を受けた日がたまたま日曜日であつたからといつて、紹介先への通勤行為が業務上の行為となるものではない。

(証拠関係)<省略>

理由

一  控訴人は港湾労働法の規定による公共職業安定所に登録された日雇港湾労働者として、安定所の紹介する事業所で就労していたが、昭和四五年五月二四日、安定所の窓口で川崎運送株式会社川崎営業所の市営埠頭における荷役作業を紹介され、安定所から自己所有のオートバイで作業現場へ行く途中、午前七時三〇分頃市営埠頭内に入つた川崎市川崎区千鳥町二番地先路上において、事故を起こし負傷したこと、控訴人はこれを業務上の負傷として労働者災害補償保険法(昭和四四年法律第八三号による改正前のもの。以下、単に法という。)による療養補償給付の請求を被控訴人に対してしたところ、被控訴人から不支給の決定があつたことおよびその後の審査請求および再審査請求の経過については、いずれも当事者間に争いがない。

二  控訴人は、被控訴人のした右保険給付の不支給決定は補償事由たる負傷についての業務上外の認定を誤つた違法な処分であると主張するところ、労働者災害補償保険による補償の事由となる法一二条二項、労働基準法七五条一項所定の業務上の負傷と認められるためには、労働者が一般的に使用者の指揮命令を受ける支配下にある状態において勤務するに際し、これと因果関係のある事故に起因して負つた傷害であることを要するものと解されるので、以下この観点から検討する。

<証拠省略>を総合すると、次のような事実が認められる。

職業安定所川崎出張所においては事業主側からの申込に基いて掲示された求人案内を見て日雇労働者が窓口に提出した青手帳に紹介先、指示事項等を記入した後、労働者には所定の整理券を渡し、青手帳は紹介票とともに求人側の連絡員に手渡し、連絡員が紹介を受けた労働者を点呼確認したうえ、青手帳を預つたまま労働者を事業場に引率するという方法が慣行として行なわれていた。川崎運送においてもこの慣行にそつて求人係の連絡員を安定所に派遣し、紹介を受けた労働者を確認したうえ出迎バスに乗せて事業場に送る建前をとつていたが、労働者の中にはバスに乗らず、自己のオートバイや自転車で事業場に向かう者もいて、会社側は労働者の任意に委ねていた。また、安定所における人員点呼も必ずしも厳格には行なわれず、常時自己のオートバイ等を利用している労働者の中には特に断わらないで事業場に向かう者もあり、他の労働者に連絡方を託して行く者もあるという状態で、連絡員は何らかの方法で紹介を受けた労働者の員数を把握したうえで出迎バスを発車させるが、市営埠頭内にある現場事務所で労働者の到着を確認するまでは連絡員の一人を安定所に残留させていた。市営埠頭に入つた労働者は会社の現場事務所に出頭して青手帳との照合による到着の確認を受け、安全帽を受け取り、当日荷役作業の行なわれる作業現場を指示され、午前八時から作業に入りうるよう、作業指揮者の指示のもとに現場に向かつていた。控訴人は、本件の事故発生当日が日曜日で安定所まで乗つて来たオートバイの預け場所がないため、出迎バスの運転手にオートバイで行く旨を告げて市営埠頭に向かつたものであつた。

以上のように認められ、他に右認定を左右すべき証拠はない。

右事実関係によるときは、川崎運送の連絡員が安定所で紹介を受けた労働者を青手帳に基づき把握した段階で、同会社と労働者との間の雇用関係が成立したものと認めるべきであるが、右雇用関係の成立前においてはもとより、その成立後においても、会社側で用意した出迎バスに乗つた労働者は別として、控訴人らのように自己のオートバイ等で事業場に向かつた労働者については、それが会社側からの特別の指示による等の特段の事由のないかぎり、いまだ使用者の支配下に入つてその指揮命令を受けるべぎ状態に至つたものということはできず、前記現場事務所に到着して確認を受けるまでは、通勤の途上にあつたものと解するのが相当である。

控訴人は、本件事故が賃金支給の対象となる時間内に発生したことを根拠に、使用者の支配下において生じたものと主張するけれども、当日予定された実働作業時間は午前八時から午後五時まで(途中の休憩時間一時間を除く。)であり、その前後各三〇分間は、作業準備および後始末に要する時間として残業手当の名目による賃金支給の対象とされていたものであることは控訴人の自認するところであつて、<証拠省略>によれば、右賃金支給の対象時間に関する定めは、給与改善の一方法として港湾労働者の組合と事業主団体との間で結ばれた協定による賃金の計算方法に関する取決めにより名目上給与の対象時間としたものにほかならず、前後各三〇分の全部が作業準備ないし後始末のために現実に拘束された時間であることを意味しないことが明らかであつて、現に本件事故は控訴人が事務所に到着してその確認を受ける前の段階で生じたものであること前叙のとおりであるから、賃金支給の対象時間たることを根拠として控訴人が使用者の支配下にあつたものと認めることはできない。

また、控訴人は、本件事故現場が川崎運送の事業場であり、少なくとも事業場に準ずべき場所である市営埠頭内であるから、使用者の支配下において生じた事故であるとしても主張する。しかし、<証拠省略>によると、本件事故現場は各社の工場群に囲まれた公道上であり、川崎運送の荷役作業の行なわれる岸壁や野積場からは離れていることが明らかであつて、同会社の恒常的な事業場とは認められない。控訴人は、港湾荷役作業の性質とくに港湾労働者の相互融通の慣行や陸上運送と直結している同会社の業務内容等を根拠に、同会社の事業場は市営埠頭全域にわたるとするけれども、作業現場間の移動経路や陸上運送の通路等として利用されることがあることを理由に、かような公共的地域を含む広範囲な場所を無限定に、同会社の事業の行なわれる場所だと称してみても、当該場所に入つたことをもつて事業主の支配下に入つたものと認める根拠となしえないことは明白であるから、当面の問題にとつて何ら意味のないことというほかはない。川崎通運が取り扱つた鉱砕塊が本件事故の原因となつたという控訴人の主張も、被控訴人のした本件処分の当否に影響すべき事柄ではない。

さらに、控訴人は、仮に本件事故が通勤途上の災害であつても、一般の通勤途上よりも拘束性の強い特段の事由が存するから業務上の災害と認められるべきであると主張する。しかし、本件事故当日が日曜日であつたことは当事者間に争いがないけれども、控訴人が川崎運送から当日の出勤を明示的にせよ黙示的にせよ特に指示されていた事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず、日雇港湾労働者が安定所で就労先の紹介を受けた日が日曜日であつても、常用労働者の場合とは異なり、本来労務の提供を要しない日の特別の出勤という関係は認められないことも、被控訴人の主張するとおりである。そして、控訴人が自己のオートバイで市営埠頭に向かつた経緯、その他事故発生の時間、場所等に関する如上の諸事情を総合しても、本件事故をもつて一般の通勤途上よりも使用者による拘束性の強い状況のもとで発生したものとなすべき特段の事情は何ら認められない。したがつて、控訴人の右主張もこれを採用することができない。

三  以上のとおり、控訴人の負傷は使用者である川崎運送の支配下における災害によるものとは認められないので、被控訴人が右負傷を業務外のものと認定してなした本件不支給決定は正当であり、これを取り消すべき理由は存しない。

よつて、控訴人の本訴請求を排斥した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 横山長 河本誠之)

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